人事労務管理と人材マネジメントに関する情報発信

研修効果を持続させるためのヒント


私たちは新しい年を迎えたり、異動や転職といった節目には「今年こそは◯◯◯しよう」とか、「新しい職場では◯◯◯を目指そう」といったように、誓いや目標を立てることがある。だが、しばらくすると当初の意気込みは失せ、これまでと変わらない状態に戻ってしまう。

これは会社の研修にも当てはまる。特にマインドセットを狙いにした心に働きかけるような研修では、研修から帰って来た当初はこれまでとは違う意欲や態度、行動を見せていた社員も、数カ月も経てば、研修前の状態に逆戻りしてしまう。研修効果を持続させる妙案はないのだろうか。






キーワードは実践共同体


研修効果を持続させるのは、スポーツ選手のフォームの矯正と似通った面がある。筋肉は現在のフォームに適した状態になっているため、フォームを矯正しようとすると体に負荷がかかる。そのため、ついこれまで慣れ親しんだフォームに戻ってしまう。新しいフォームを自分のものにするには、トレーニングを繰り返し、時間をかけて体に覚え込ませる必要がある。

スポーツ選手がフォームを矯正できるのは、次のような条件が揃っていることだ。①フォームを変える必要性・重要性を理解している ②変えたいと心から願っている ③変えないと現役引退といった選手生命に関わる環境にある ④変えることでさらに成長できるという信念や確信がある。

会社が研修効果を持続させるには、これと近い状態を作り出せばよいことになる。その際のヒントになるのが実践共同体という考えだ。実践共同体は、1991年にエティエンヌ・ウェンガー(Etienne Wenger)とジーン・レイヴ(Jean Lave)という2人の研究者によって唱えられた学習理論の概念だ。

ある特定のテーマに関する専門性や関心、熱意などを共有する非公式の集団のことで、その内部で参加者は知識や情報、技術・技能などを相互交流させることにより学習することができる。実践共同体は学習者のコミュニティ、学習のための共同体と言える。実践共同体には、①領域 ②コミュニティ ③実践という3つの要素が不可欠とされ、これらのいずれかが欠けるものは実践共同体とは言えない。

現在の会社で実践共同体は見つけにくいが、最も近い存在はプロジェクトチームによる課題遂行だろう。目標を達成するため、社内・社外の関係者が一堂に集まり、解決策を検討し実行に移す。参加するメンバーはある特定の「領域」に関して専門的な知識や経験を有しており、相互交流するチームという「コミュニティ」がある。

そしてメンバーが「実践」により共有する知識や一連の考え方の枠組み、専門用語、情報、様式、文書などのツールがある。だがプロジェクトチームは目標が達成される、あるいは一定の期間が経過すると解散するため、実践共同体とはなりえない。

その他の実践共同体をイメージさせるような具体的な事例としては、社内勉強会、産官学による共同研究開発、異業種交流会、ベンチャーキャピタルによる資本・業務提携、企業・行政とNPO法人との連携、地場産業による共同開発・共同受注などがある。

現在の教育学習分野の調査研究によれば、人間の学習は一人で知識を学び、修得するだけで完結するものではなく、特定の知識や技能を有する人々で構成される集団に参加し、その中でそれぞれのメンバー間で交わされる相互交流を通じて、知識やアイデンティティを自分のものにしていく過程であると捉えられる。これは組織心理学者のクリス・アージリスとドナルド・ショーンが唱える、組織内の既存の認知枠組みを越えて、新しい物の見方や行動を学習するというダブル・ループ学習を推し進めることにも繋がる。

企業の内外に重層的に実践共同体を構築し、そこに社員が参加できるようにすれば、研修効果を持続させることが期待できる。



次章は実践共同体で人材を育成する会社の試みです



社外の実践共同体で人材を育成する


もともと「実践共同体」は教育分野の研究成果であるが、現在は適用範囲が広がり、社会人の職業教育、企業の人材育成の分野においても応用されている。「実践共同体」という言葉は使われなくても、実際は実践共同体を目指す動きもみられる。この背景には、現在の日本の企業では実践共同体が成り立ちにくくなっているという事情がある。

かつて日本の会社と言えば、大半が正社員で構成されていたが、現在は非正規雇用の社員が多数を占めるようになっている。非正規社員の多くは社内の人材育成の対象から外れており、実践共同体の構築を難しくしている。また終身雇用制度の終焉により、企業の人材育成ニーズと社員の能力開発の方向性の間にミスマッチが生じている。社員から見れば、終身雇用が保障されていれば、自分の能力開発は会社に任せておけば良かったが、現在は自らのキャリアを会社に委ねるリスクが高まっている。

経営学者のピーター・ドラッカーは現在の社会は、企業の寿命よりも私たちの職業人生の方が長いという、歴史史上かつてなかった事態を迎えていると指摘し、人は一つの組織にのみ依存するのではなく、別の「第2のキャリア」にも時間や労力を振り向けるべきであるとする。そのためドラッカーはパラレルキャリアという生き方を提唱し、誰もが現在の会社に所属しながら、社外の別の集団・社会組織にも参加することを勧めている。

企業の本業や祖業の領域が拡散し、曖昧になっていることも実践共同体が注目される理由として挙げられる。かつては「コア」となる技術やノウハウを武器に、特定の業種・業界で事業を展開していた企業が、「コア」の技術やノウハウを活せる事業領域を広げ、結果として多角化が進んでいる。

新分野での仕事では社内に経験者は誰もいないため、OJTが機能せず、会社が企画するOFF-JTも的外れなものになりがちだ。そのため会社主導で人材を育成するのではなく、社員が社外の実践共同体に参加することで、そこでの学びの成果を会社にもたらしてもらおうとする。

こうした手法を実現させようとする試みを「ロート製薬」が打ち出している。同社では2016年から人事部の了承を得た上で、社外で働くこと、つまり兼業副業を容認する「社外チャレンジワーク制度」を始めた。同社がこの制度の導入に踏み切ったきっかけは、東日本大震災で社員がボランティアに参加したことだった。

ボランティアから帰ってきた社員の多くが見違えるように成長しており、これをきっかけに社内では人材の育成は社内のOJTや研修によるOFF-JTだけでは限界があり、全く違う環境で社会に関わることが学習になり、人材育成に繋がるのではないかという認識が一気に広がった。

ロート製薬も本業や祖業である目薬・医薬品分野の売上に占める割合は年々低下しており、現在は多角化の一環として参入した化粧品が大きなウェイトを占め、さらに美や健康をテーマに農業や外食産業などにも事業領域を拡大させている。こうした新しい事業では、誰かが何かを教えて指導することはできず、社員が自ら学んで成長してもらう以外に有効な手立てがない。それを実現させるのが兼業・副業により実践共同体への参加を促す試みだ。

実践共同体の構築に際し、今後の注目される動きとしてはSNS上で展開されるコミュニティを、いかにして実践共同体に仕立てるかだろう。SNSのオフ会を単なる飲み会や親睦・交流の場から相互学習の場へ転換させるには、参加者の高い目的意識と共同体を運営できるコーディネーター、あるいはファシリテーターが求められる。

会社員が複数の組織や団体に所属することが当たり前になれば、会社と社員との関係も変容せざるを得なくなる。企業の本業の境界線が拡散し曖昧になっているのと同様、働く人も、会社・組織との関係は流動的になる。その結果、どの会社に属し、どんなポジションの人なのかはあまり意味をもたず、何をしている人か、あるいは何が出来る人で、何を目指している人なのかが重要になる。こうした働き方が広がることで、「働き方改革」はボトムアップでも進むかもしれない。


2017/2/27


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